差別をする人は教養がない人で、差別をしない私たちはきちんと勉強をしているからみたいな矛盾したことを特に留保もつけずに書ける人たちを見るのしんどい。 トランス差別についてもそうで、トランス差別をするのはフェミニズムを理論的にきちんと学んでないからだ、とひとつの特権性を境界にして他者化している人が多いのも差別的な態度だと思う。 勉強に関するマチズモが勉強をしてない人への蔑視とスティグマに転ずるなんて本末転倒どころじゃないよ。勉強してない人を馬鹿にするための勉強ってなんなのよ一番かっこ悪いよ。 私の周りの比較的信頼できる人はトランス差別に反対しながらも「私は今たまたま差別に反対できているけど、トランスヘイターにならなかった保証はない」といってる。わたしも同じ。 差別は、差別者と呼ばれる人間がいて、その本質には特定の属性や要因があるから起きるものではない。 この社会に内在する差別構造が権力として人の文化活動に作用することにより再生産されて起きる。私たちが差別に立ち向かうために勉強するのは、その差別構造を可視化し解体していったり対抗言論を拡大するためにあるのであって「勉強してない人」という属性により他者化して攻撃するためじゃない。頭にくる。