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どう考えてもお笑いって面白いのになぜ「つまらない」の一点張りで頑なに見せようとしないのかずっと謎だった 母なりになにかトラウマなり矜持なりがあるのだろうが(べつに恨んだりムカついたりはしていない)

母親が異常に音楽に保守的なので「最近の歌手は全部ダメ」「そもそもなに言ってるかわからない」「どうせ20年くらいしたらたいていは消えてる」という思想を何度も聞かされてきたのだが,私はふつうに最近の歌も好きなんだよな お笑いも同様
一方で物語の好みは母親による影響がやや大きいっぽく,私の場合,洗脳は意味の次元では機能したが身体性の次元ではあまり機能しなかった,ということらしい

でも1章だけサクっと見ておくのはありかも 『ミュージカルの歴史』も基礎知識なさすぎて意味わからん箇所いくつかあるし

頭でっかちなので初手で理論から入ることを検討してしまうが明らかに悪手

音楽理論を俺がやるかどうかはさておき,SoundQuestってまじでえげつないくらい親切なサイトだな

ここ数日はTwitterに無意味に張り付かなくても生きていけるようになってきた

音楽がわからないと演劇がみられないのだよ

とりあえず洋楽を適当につまんでいる(普段はQueenしか聴かない)
ほんとうは「歌詞」じゃなくて「音」「楽器」が聴けるようになりたいんだけどね

音楽なんもわからんのがコンプレックス(あまり強くはない)なんだけど,逆に何聴いても新鮮で耳が気持ちいいことに気づき,もしやコンプどころか希望?となっている

見たことないです 私にとっては鬱アニメ

たくさん読んで知見を広げるのも大事だが,やはりなにか一つの作品/一人の人物に惚れ込んでその作品/人物を「最強」にしておくほうが,結果的に(どういうわけか特殊性が反転して)普遍性が獲得できる気がするね

たぶんだけどダヴィンチ恐山の種族値を全部30下げると俺ができる

まさにこういうことをつぶやくためにTwitterアカを作ったのに,なぜいつの間にかマストドンでひそひそ言うようになってしまったんだ?

ジョージ秋山『銭ゲバ』が偉いのは,作中最悪の加害者であり被害者である主人公・蒲郡にとっての最大の理解者が「公害問題に立ち向かう正義の作家」こと秋遊之助,という点なんだよな 創作物の中で作家(に近い存在)が出てくるとだいたい作品世界を俯瞰する特権的な位置に置かれていて鼻につくのだが(最近読んだものだとサラマーゴ『白の闇』やアトウッド『侍女の物語』,あるいは岸辺露伴でもいい),『銭ゲバ』ではむしろ銭ゲバにもっとも接近する存在として描かれている ここにジョージ秋山なりの美学があるのだと思う,観察者ではなく当事者として物語を生み出そうとする矜持がここにはある

友がみな 我より偉く 見ゆる日よ
↑お,この歌はよさそうだな?

花を買い来て 妻と親しむ
↑ふざけんなボケカス 歌人やめろ

Ticket to Ride を「チケット・ゥ・ライド」と表記する,このたった一文字の「ト」をカットするセンスと勇気

みんなえらいね
友がみな 我より偉く 見ゆる日は

(私の関心の中ではどうでもいい寄りだが)寛容と無関心の差異というものに興味がある

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Fedibird

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