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時間が戻らないの面白すぎワロタ という感情(辛さの比喩とかではなく本当に面白いと思っている)

人生訓としてではない,もっと本質的な意味での区別が知りたいんだ,俺は!

XXをしたいこととXXをして褒められたいことの差異

まずい 生きてるだけで満足してる!

完全に人間として死んでしまったよ

まあどっちでもいいんですけど カスみたいな問題だぜ!

しかし,身体反応のレベルに対してトップダウンの意味付けの優位性(とまでいかなくても同等な権利を)主張するのであれば,逆にこういうこともできるのか? つまり,ちんちんは大きくなったけどこれは人間愛です,なぜなら俺はこれを人間愛だと信じているから……と 

まあ実際には性的な欲望が(身体反応のレベルでね)喚起されるか,という死ぬほどしょうもない差異があるだろうから,この話は終わりなんですけど

たとえば「身体反応としては実は同じだがトップダウンの意味付けが異なるだけ」みたいな(この手の分野ではありふれた)想定がありえるわけだが,しかしこれを基準に「この2つの好きは同じです」と言ってしまうと,驚きと恐怖とか怒りと興奮といったあんまり同じになってほしくないものも「同じ」になってしまう

真面目な話,人間として好きなのと恋愛対象として好きなのを区別できる水準はあるのか,というのはふつうに(応用問題ゆえに些末ではあるが)情動の哲学の問いですな

メタ認知が感覚的に有意味なのは2階までで,3階以上になると意味がよくわからなくなるわけだが(だからこそ一部の自由意志論では「2階の意志」がやたら(無根拠に)重要な地位を占めてしまう),そういえば『ムーたち』のどこかにその無限のメタ性を視覚的に表現した話があったなと

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