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ウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いや,消費したコンテンツについてまとめる時間で新しいコンテンツにふれたほうがいいのでは?の気分になってきた

2022年消費コンテンツ一覧を作ろう

「AAにかんする倫理的な議論」ってフレーズみて「アスキーアートの倫理?!」って思ったけどアファーマティブアクションだった

wowwowで「爆笑問題のツーショット」をみた(延々と漫才するやつ)
私はほとんどお笑いをみたことがないので,ネタのクオリティがどうとかは知らんが,あの淀みなく次の話題へ移っていく漫才特有の(?)時間,断片化,切断には喜劇の本質があると思った

道化は昨日は笑っていない。そうして、明日は笑っていない。一秒さきも一秒あとも、もう笑っていないが、道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何物もない。涙もないし、揶揄もないし、凄味などというものもない。裏に物を企んでいる大それた魂胆は微塵もないのだ。ひそかに裏を諷しているしみったれた精神もない。だから道化は純粋な休みの時間だ。昨日まで営々と貯め込んだ百万円を、突然バラまいてしまう時である。惜げもなく底をはたく時である。

ここで恒例の安吾名文紹介コーナー!!!

道化の作者は誰に贔負も同情もしない。また誰を憎むということもない。ただ肯定する以外には何等の感傷もない木像なのである。憐れな孤児にも同情しないし、無実の罪人もいたわらない。ふられる奴にも助太刀しないし、貧乏な奴に一文もやらない。ふられる奴は散々ふられるばかりだし、みなしごは伯母さんに殴られ通しだ。そうかと思うと、ふられた奴が恋仇の結婚式で祝辞をのべ、死んだ奴が花束の下から首を起こして突然棺桶をねぎりだす。別段死者や恋仇をいたわる精神があるわけじゃない。万事万端ただ森羅万象の肯定以外に何物もない。どのような不合理も矛盾もただ肯定の一手である。解決もなく、解釈もない。解決や解釈で間に合うなら、笑いの国のお世話にはならなかった筈なのである。

1933時点で安吾が探偵小説?! この時代の安吾と言えばファルス(笑劇)では?! と驚いたけど,読んだらやっぱりファルスだった ありがとう安吾

おれは安吾を読む時はつねに本気で音読している なんか文句あるか?オラ

今月の新潮に載ってた安吾の未発表作品を読んだよ!!!!

世の中には無を回避する方法があふれており(一旦寝る,誰かと話す,体を動かす,忙しくするetc),実際効くのだが,これを素直に主張/実践できるやつはまだ余裕がある 「なぜ無を回避して "より良く" あらねばならないのか」というメタレベルの無を考慮してないから

和スチャラカパークがあるなら洋スチャラカパークもあるのでは? と思ったがそもそも和スチャラカパークがなかった

でもこれでいい リハビリだから
統計力学をやるうれしさ:
・甘利(1977)を筆頭とする,記憶を数学的にモデリングする論文が読めてたのしくなる
・渡辺ベイズが読めるようになって統計がたのしくなる(これはならないかもしれない)
・数学力(ぢから)がついて自由エネルギー原理などの意識の理論研究が理解しやすくなる(これもあまりならないかもしれない)

俺がいくらアホになってるとはいえ『ゼロから学ぶ統計力学』はさすがにやさしすぎたかもしれんなこれ

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