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初期の安吾が漫画家になったらきっと榎本俊二みたいなバカ話を描いているんだろうな

『それは私がしたことなのか?』の行為モデルを,文章を語ったり書いたりする行為に当てはめたときなにかバグが起きるような,別に起きないような……

はじめから頭の中にあるものを書いているのではなく,書くと同時に思考が作り出されていくのを感じる 大理石の彫刻のように……

仕事を時間積分しても力にはならないんだが? こいつ物理基礎すらやったことないのか? みたいな文章になってて笑う いやまあ物理は苦手でしたけども

メモっとくか

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言論の力,とはなんでしょうか。
私は「暴力は絶対にいけない」とは言いません。それなくして社会は成り立ちませんから。「自業自得だ」とも言いません。原因と責任は別ですから。
現状,事件の背景は全くわかりません。氏の議論が原因なのか,或いは単なる私怨なのか。憶測で好き勝手に語るべきではありません。しかし,確実なことがわかるまで何も言わずに待つ──これもよくありません。「確実なこと」が開示される保証など,どこにもないですから。黙する人間に世界は何も与えません。
例えば事件を受けてビラを作ること。それを読むこと。この細かな仕事の積分だけが言論の──つまり私達が頼るべき唯一の──力である。私はそう信じています。
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宮台襲撃を受けてビラに寄稿してほしいと言われたので文章を寄せたんだけど,300字でものを書くのって困難ですねえ

主催のひとりがサール『MIND』の訳者だ! 俺の人生の伏線回収か?

socio-logic.jp/nonPhilo/bookcl
「非哲学者による非哲学者のための哲学入門読書会」

これたいへんよさそう 第二期の戸田山和久『思考の教室』回は出ます

URL貼ると落ちるから貼らんけどここからつまむとよさそう

マンガ研究の鶴田さんがたしか同じようなことを言っていたような……赤松のヤマーダレドマツ騒動に際して……ただ詳細は忘れてしまった

マンガはたしかにすごく読みやすいメディアだが,一方で読みを確定させることもものすごく難しいのでは,ということを藤本タツキなどをみていると思う

鬱のときはすべてが悲観的になるが,躁のときはなぜ自分が鬱になるのかさっぱりわからない……というのはそのとおりなのだが,「不幸にならなければいけない」という感覚は躁でも鬱でも(あるいはどちらでもないニュートラルでも)私を支配している いわば二階の意志として「鬱のほうが世界をただしく認識している(だから鬱であるべきだ)」と思っている 理由はわかりません

今週は読書会とか食事のお誘いとかで人としゃべる機会が多いので健康だよ 健康健康!幸福!

ーー彼等はいつも私にこう話しかける。君、不幸にならなければいけないぜ。うんと不幸に、ね。そして、苦しむのだ。不幸と苦しみが人間の魂のふるさとなのだから、と。

だが私は何事によって苦しむべきか知らなかった。

美しい花がある,花の美しさというようなものはない。
最も多きは人なり,最も少なきも人なり。

安吾はこういう文章を「かういふ気の利いたやうな言ひ方は好きでない。本当は言葉の遊びぢやないか」と批判していて(『教祖の文学』),私は何を読んでも書いてもこの安吾の言葉が頭から離れないので,ある種の批評や哲学をしんから信じられないのもそこにある

ハリポタ,とつぜんダンスパーティとかいう謎のヘテロイベントがはじまってしょうもない色恋沙汰がつづくので笑ってしまった

最近喘息の調子が悪い 許さねえからな,世界……

誰かの「最近の漫画は漫画の神に愛されてるようなコマがない,なんでこれが読めるのかわかんねえって画面がない」ってツイートがかなり良かったんだが,たどりつけない

7話のこれもコマの使い方ワイルドすぎておもしろい

『放課後ひみつクラブ』2話のこれ,2コマ目うまいな! 吹き出しを吹き出しで囲むことで会話の同時性が表現できてる

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