新しいものを表示

音楽がわからないと演劇がみられないのだよ

とりあえず洋楽を適当につまんでいる(普段はQueenしか聴かない)
ほんとうは「歌詞」じゃなくて「音」「楽器」が聴けるようになりたいんだけどね

音楽なんもわからんのがコンプレックス(あまり強くはない)なんだけど,逆に何聴いても新鮮で耳が気持ちいいことに気づき,もしやコンプどころか希望?となっている

見たことないです 私にとっては鬱アニメ

たくさん読んで知見を広げるのも大事だが,やはりなにか一つの作品/一人の人物に惚れ込んでその作品/人物を「最強」にしておくほうが,結果的に(どういうわけか特殊性が反転して)普遍性が獲得できる気がするね

たぶんだけどダヴィンチ恐山の種族値を全部30下げると俺ができる

まさにこういうことをつぶやくためにTwitterアカを作ったのに,なぜいつの間にかマストドンでひそひそ言うようになってしまったんだ?

ジョージ秋山『銭ゲバ』が偉いのは,作中最悪の加害者であり被害者である主人公・蒲郡にとっての最大の理解者が「公害問題に立ち向かう正義の作家」こと秋遊之助,という点なんだよな 創作物の中で作家(に近い存在)が出てくるとだいたい作品世界を俯瞰する特権的な位置に置かれていて鼻につくのだが(最近読んだものだとサラマーゴ『白の闇』やアトウッド『侍女の物語』,あるいは岸辺露伴でもいい),『銭ゲバ』ではむしろ銭ゲバにもっとも接近する存在として描かれている ここにジョージ秋山なりの美学があるのだと思う,観察者ではなく当事者として物語を生み出そうとする矜持がここにはある

友がみな 我より偉く 見ゆる日よ
↑お,この歌はよさそうだな?

花を買い来て 妻と親しむ
↑ふざけんなボケカス 歌人やめろ

Ticket to Ride を「チケット・ゥ・ライド」と表記する,このたった一文字の「ト」をカットするセンスと勇気

みんなえらいね
友がみな 我より偉く 見ゆる日は

(私の関心の中ではどうでもいい寄りだが)寛容と無関心の差異というものに興味がある

最近どんどん他人の表情が読めなくなっててやばい! 周りがなに考えてるのかわからん

data-driven
hypothesis-driven
desire-driven
madness-driven
driven-driven
driven-driven-driven-…

それはそれとして頭痛が止まらない どうせ痛むなら希死念慮(なんだそれは?)を覆い隠して欲しい

や,これはさすがに失礼がすぎたかもしれない
彼らも彼らの領域でなんらかの学習を続けてきたはずだから,勝手に「天性」と断ずるのは失礼だな

不思議なのはこういう意味不明な返答をする人でも別の領域においては全く冴えた洞察をすることがままあることで(それはしばしば私よりずっと優れていたりする),私の思考は単に学習で身につけたものだが,彼らのそれはおそらく天性のものであるから,うらやましくなる

例えば子供を持ちたくないと言って「それ生物学的に間違ってるよ〜」と軽いノリで返されたとき,それ何もかも全て間違っているよと言うわけにもいかず,といって笑って頷くわけにもいかないので(これは私なりの安いプライドだ),結局適当に誤魔化すことになる

わたしはそんなに偏屈ではないので非オタクの話が全部つまらんとまでは思わないが,それでももう少し掘り下げた話をしたいなとはいつも思う

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。