新しいものを表示

道化は昨日は笑っていない。そうして、明日は笑っていない。一秒さきも一秒あとも、もう笑っていないが、道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何物もない。涙もないし、揶揄もないし、凄味などというものもない。裏に物を企んでいる大それた魂胆は微塵もないのだ。ひそかに裏を諷しているしみったれた精神もない。だから道化は純粋な休みの時間だ。昨日まで営々と貯め込んだ百万円を、突然バラまいてしまう時である。惜げもなく底をはたく時である。

ここで恒例の安吾名文紹介コーナー!!!

道化の作者は誰に贔負も同情もしない。また誰を憎むということもない。ただ肯定する以外には何等の感傷もない木像なのである。憐れな孤児にも同情しないし、無実の罪人もいたわらない。ふられる奴にも助太刀しないし、貧乏な奴に一文もやらない。ふられる奴は散々ふられるばかりだし、みなしごは伯母さんに殴られ通しだ。そうかと思うと、ふられた奴が恋仇の結婚式で祝辞をのべ、死んだ奴が花束の下から首を起こして突然棺桶をねぎりだす。別段死者や恋仇をいたわる精神があるわけじゃない。万事万端ただ森羅万象の肯定以外に何物もない。どのような不合理も矛盾もただ肯定の一手である。解決もなく、解釈もない。解決や解釈で間に合うなら、笑いの国のお世話にはならなかった筈なのである。

1933時点で安吾が探偵小説?! この時代の安吾と言えばファルス(笑劇)では?! と驚いたけど,読んだらやっぱりファルスだった ありがとう安吾

おれは安吾を読む時はつねに本気で音読している なんか文句あるか?オラ

今月の新潮に載ってた安吾の未発表作品を読んだよ!!!!

世の中には無を回避する方法があふれており(一旦寝る,誰かと話す,体を動かす,忙しくするetc),実際効くのだが,これを素直に主張/実践できるやつはまだ余裕がある 「なぜ無を回避して "より良く" あらねばならないのか」というメタレベルの無を考慮してないから

和スチャラカパークがあるなら洋スチャラカパークもあるのでは? と思ったがそもそも和スチャラカパークがなかった

でもこれでいい リハビリだから
統計力学をやるうれしさ:
・甘利(1977)を筆頭とする,記憶を数学的にモデリングする論文が読めてたのしくなる
・渡辺ベイズが読めるようになって統計がたのしくなる(これはならないかもしれない)
・数学力(ぢから)がついて自由エネルギー原理などの意識の理論研究が理解しやすくなる(これもあまりならないかもしれない)

俺がいくらアホになってるとはいえ『ゼロから学ぶ統計力学』はさすがにやさしすぎたかもしれんなこれ

M2にもなって「学部生がたくさんいて混むから」を理由に帰る時間決めないといけないのだるすぎる

愚痴を言っても現実はなにも変わらないんだ!(⌒▽⌒)

読み手に伝わっているのかはわかりませんが,『おいしいご飯〜』のnoteで書いた二谷解釈はまんま私じしんに向けたものなんですね 最悪の気分だ!

口を開けばラボの悪口と自分の肉体への怨みしか出てこない!
ウーフはおしっこでできている 俺は怨みでできている

一番まっとうな研究をしてるのが他ラボと兼ラボしてる学部3年生,という恐ろしい研究室があるらしい

ぼくの研究(もはや研究ではない)より学部3年生のプロジェクトのほうが10000倍まっとうなサイエンスでわろた こういう研究をしないと駄目ですよ

私は少年時代から小説家になりたかったのだ。だがその才能がないと思いこんでいたので、そういう正しい希望へのてんからの諦めが、底に働いていたこともあったろう。

I LOVE ANGO SAKAGUCHI

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。