pixivやらSNSやらのAIイラスト系に「タグをつけろ」というの
「相対的に数が多くUIとモニターの限界・プレビュー上で同系統絵柄が連続してランダム性を損ねる」
「AI出力の絵柄がのきなみ好みでなかった場合に検索性が下がる」
の二点が主な焦点だと思うので、一定の理解はするのだが、逆に
「システム側がランダム性を高めた(それ用の)検索ページをひとつ作る」
「好みに合致した(特に今後もっともっと作家性を取り込んで発展していくので)」
などの場合には必要なのか?解決するのでは?またそれはAIに限らず異常に筆が早く不快な落書き投稿マンが出現したときはどう対処する?
という疑問があり、結局は近視眼的な気持ちの「なーんか気分じゃねえな〜」という、昼メシを和食にするか洋食にするか程度の感覚の話なんだろうなと思う。
メモリやグラボの増設入れ替え感覚で人体改造できる社会がくればいいなと思う。コーディネイターのような生まれつきだと由来する問題増えそうなので、イノベイター路線がいい