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例によってわたくしは連続ドラマというものがほとんど観られない体質なので
(長きにわたって続く作品を毎週ちょっとずつ観るということが耐えられずに3話くらいでどうしても離脱してしまう)
恐縮ながら朝ドラも観ていないんですが、米津のテーマソングからは何となくフェミニズム系譜へのリスペクト的なものを感じたというか、まあそこまで言うと言いすぎなんだけど、「100年先のあなたに会いたい さよーならまたいつか!」は、寅子が女性初の弁護士になったとて彼女はきっとそれで完全に男女平等になったとは微塵も思わず、やらなければならないことはこれからもあり続けるだろう、それでも100年後にはもっと女が自由な世界が訪れていればいい、という、これまで数多のフェミニストたちが行動を起こして、今もなお起こし続けている祈りのかたまり、のように聞こえた。

米津玄師 - さよーならまたいつか! Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka ! youtube.com/watch?si=IzMkY8Gc3

ほとんど最初の印象の通りで驚いた。そしてちょっと涙が出た。

>そもそもなぜ男性である自分に話が来たのかも疑問だったので、制作統括の方に打ち合わせで尋ねたんですよ。女性の地位向上の物語の主題歌を歌うのが男性の自分であるのはなぜなんですか?

>およそ客観的に曲を作るのが不可能だと思ったんです。客観的にやるとどういう形になるかを考えると「がんばる君へエールを」みたいな曲になると思う。「あなたはがんばってる、あなたは素晴らしい、私は応援してるよ」という言い方にならざるを得ない感じがした。これはすごく無責任じゃないかなと思って。

>この物語のモデルになった彼女からしても、自分たちは100年先の誰かであるはずだし。自分たちにとっても、100年先にはまだ見もしていない、生まれてもいない誰かがおそらくいるだろうし。そうやって、連続して祈りや願いを絶やさずに生きてきたから今の自分たちがいるわけで。それはすごく尊いことですよね。

米津玄師「さよーならまたいつか!」インタビュー|“キレ”のエネルギー宿した「虎に翼」主題歌 - 音楽ナタリー 特集・インタビュー natalie.mu/music/pp/yonezukens

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