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宇佐見りんの『推し、燃ゆ』は、「推しを推す」ということのある種の歪さ、醜さ、何かを支えにして辛うじて這いずるように生き延びることのままならなさ、奇妙であることをどこかで自覚しながらそれでも「推」さずにはいられない者の魂の叫び、みたいなものであって、いくら功罪があれどもあの若さの書き手から恐らく幾らかの当事者性を持って書き出されたことは文学界で重要だったし、芥川賞を受賞したのも頷けるんだけど、それによって「推し」を「推す」という概念の表面的な部分だけが切り抜かれて拡散され、現在の病的なまでの「推し活」ブームを結果的に加速させる一助になってしまったことを思うと皮肉というか気の毒というか何というか宇佐見さんが望んだことではなかっただろうなぁ…と思う

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