Citizen Sleeper、苦しいときやつらいときに見る夢が、苦しいながらもどこか美しかったり、忘れたいほど悲しい過去の話をごはん食べながらして、それは話したところでどうにもならないことだけど、ただ優しい時間の中で共有する安心感とか、そういうシーンがちゃんとあるのがとても嬉しい。
身体をなくした義体や義肢の人が多くて、主人公なんか身体も記憶もなくて、不慣れな身体を使ってできること/できないこと/能力的制限の中でどうサバイバルするかというのがゲームの中心になっているんだけれど、それだけじゃなく、その身体で生きていて見える世界や、昔の身体とのギャップで生まれているらしい感覚とか、そうして感じたことを生活の中で誰かとシェアしたりすること、もしくは、語らないまでも互いの人生を想像して労り合うことが、会話や労働そのものの中にある。(能力や経済の観点だけでは割に合わない仕事が割とある。)その一方で人権完全無視のブルシットジョブもあるが。。
そういう「その身体を生きること」——能力主義からこぼれていく体験とか情緒が丁寧に語られ、ゲームの中でそれぞれの多様な人生そのものが価値のあるものとされているのがとてもいい。