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足浮腫んでないから多分再発はしてないと思う。多分。

と、思ったけど、今日サラダ先に食べてパスタ食べたからかもしれん。糖質制限ダイエットで、野菜→汁物→メイン→米などの糖質主食の順番で食べると、糖質主食食べる量減るというし。

コールセンターで働いていた時、昼ごはんに角煮丼を食べたら半分くらいしか食べられず残した事があって(貧乏農家の孫なのでお残しに抵抗がある民)その夜めちゃくちゃ熱が出てインフルだった事があった。
今年5月に持病が再発した時も、なんか食欲なかったし、持病に初めてなった時も食欲がなかった

米が炊けていないので外にご飯食べに出かけたんだけど、いつもの明太子パスタ大盛りの半分くらいで『もうお腹いっぱいかも』となったので、もしかしたら体調悪いのかもしれん

思い出したのではなくApple musicで調べた

鬼束ちひろで1番最初にハマった曲の曲名が思い出せなくて何だったかな…と思ってたんだけど、あれだ、シャインだ。

というか、ポジティブにしろネガティブにしろ、別に良い事でも悪い事でもないと思うんよな…自分が本当は落ち込んでいるのに、ポジティブで覆い隠そうとするの、あんまり健康的ではないなと自分が思っているだけで。
そこで見ないふりした怪我は、実は膿んでいて後で大きな傷になったりするからな。

でも私の事を観察していて、私のネガティブはポジティブに向かう前段階として必要な儀式、だと思った模様。それはそう。

でも基本的に自分がその時に感じる感情を味わい尽くそうと思っている人間なので、落ち込む時はめっちゃ落ち込み倒すし、怒る時は目一杯怒る。
ネガティブな時はどん底までネガティブなので、周りで見ている家族はそんなにネガティブな事ばかり言っていてとらわれたりしないのかな、と思っていた模様。

信じられるのは、多分自分がなんだかんだ恵まれているからなのだと思う。自分が恵まれている、と思う事も暴力的な事だとは思うけれど。
もちろん私の人生それなりに色々あったけれど、でも自分の善性と人の善性をどこかで信じられるのは、私を育ててくれたり接してくれた人たちのおかげだとはいつも思っている。
私自身はすごいめんどくさいろくでもない人間なので、環境が良くなければどこかで善性を信じる事なんて出来なかったと思うので。

そんな事を思えるのは、多分根本的に自分自身の良い変化と、社会の良い変化を信じられるからなんだろうな…こんなひどい事がたくさん起きる世界でなんでそんな信じられるのとも思うんだけれど…

私たちの世代は年金がもらえない、とか、老後のためにいくら貯金しなきゃ、とか、そんなん社会情勢が変わったり自分に変化があればいくらでも覆るわけで(どんだけポジティブなん)逆に今ある事が永遠に続くとも思っていないし。

その定まらなさが苦痛な人には生きている事は辛いかもしれんが。ただ定まらないからこそ、最後まで可能性がある、とも思うんよな。

何ですかね、自分も世界も常に変わり続けるので、生きている限り最後の瞬間までその変化の中にいるので、最後の一瞬まで可能性はある、と思っている…というか…

将来の事とか何か色々話をしていて…何というか、基本的に生きていれば何とかなると思っている節があるというか…昔ははちゃめちゃネガティブだったんですが…

昨日オシッショとアンスティチュ・フランセで行われたフレンチアニメの夕べに行ってきたんだけど、帰りにご飯を食べていつものごとくいろいろ話をしていて、私実ははちゃめちゃポジティブなんかなと思い始めた。

あんずちゃんのムビチケを友人からもらったんだけど、仕事が終わらなくていけぬ…最後の一館の田端チュプキが15日までなので行かないと…

昨日は仕事してフレンチアニメの夕べに行って仕事して朝方寝たら大爆睡かました上にまだ眠く更にまだ朝ごはん食べてないという…すなわち行こうと思った散歩も行けずじまい。折角いいお天気だったのに…しょんぼり

ひょんな事から鬼束ちひろをまた聞いてるんだけど、また機会があったらライブ行きたいですね

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