没後の猪木再評価も落ち着いて来たようで。「客席最前列にズラリとヤクザが並んでたってあなたは言うけどそれは新日本プロレスの興行ではあり得ませんよ」という指摘が飛んでたけど、「ウチが興行からヤクザを外したのは私がヤクザを嫌いだったからです」と猪木本人が言ってたのを知らない人ももう多いのだろう。ただ日本プロレスを追われ独立した猪木は、日プロから全日へと継承されていった既存のプロレス興行ルートが使えなかったのでヤクザの絡んでない新規興行主を探さざるを得なかったという事情もあったわけで、どっちがどうとは言えないが本音と建前が共存していたのは間違いない。日本人対決から格闘技戦そして初期IWGPに繋がる「実力世界一決定戦」というキャッチフレーズも「プロレスこそが最強の格闘技である事を証明する」という題目と、名前だけで客が呼べるような有名外国人レスラーを招聘出来ないという苦しい事情とが渾然一体となった中から出て来たもので。この辺の背景を簡略視したりすっ飛ばしたりして下されるレスラーとして社長として人間性としてだけによる猪木評価というのは、違和感を抱かざるを得ない。とここまでで421字、複雑にこんがらがっていて分解してしまえない事情を分割せずまとめて書けるのはTwitterにはないマストドンの利点ではあるなと。
「ブラック・サバスと言えばギターリフでそれを考えたトニー・アイオミが偉い」と思ってたし実際そうなのだろうが、ロニー・ジェイムス・ディオ加入以降の音楽的な変遷を考慮すると、初期サバスはボーカル或いはプロデューサーとしてのオジー・オズボーンによってアイオミの能力が引き出されていた面も大きかったのかなと最近思い直している。勿論これも猪木再評価と同様完全にどっちがどうと黒白付けられるものではなく、世の中というのはそういうもんなんかなというそれなりに長く生きた人間としての感慨。