(現場へ!)ホームレス難民:2 申請7倍でも減る保護費
https://www.asahi.com/articles/DA3S16103207.html
昨日の続き。夕刊紙面版。
スレに1回目の記事を少し引用してるから(ハードと感じる人もおられるかもしれんけど)よかったら読んでね。
また安倍晋三だよ…。
《難民申請者は11年と比べて、約7・4倍に増加したが、保護費の予算は3億3600万円(11年度)から2億5900万円(24年度)と、2割以上減った。予算が減少した理由について、外務省の担当者は「他の予算との兼ね合いもありますし、なんとも……」と煮え切らない。
難民政策の国際比較などに詳しく、難民認定の参与員も務める北村泰三・中央大名誉教授(73)は「12年に第2次安倍政権が発足して以降、難民申請者は増えているのに、予算を減らすという流れができた。申請者が増えた理由について、世界情勢によるものではなく『偽装難民が増えた』といった言説を重視して、人道上厳しい対応をした。その後の自民党政権でも、それが続いてしまっている」と指摘する。》
「私も、同じ人間ですよね?」 移動も制限 悩む難民申請者の子ども
https://www.asahi.com/articles/ASSD904X9SD9UCVL042M.html
夕刊連載「現場へ!」の4回目。デジタル版。
《難民申請者の子どもたちが描く純粋な未来の上には、硬い天井がある。置かれた立場は、非常に不安定だ。》
と定塚記者は書くが、硬い天井を作り、その上に乗ってるのは人権侵害を放置し差別を再生産し続ける日本政府、法務省、裁判所、そして国民だろう。
《中東出身で東京近郊に住む16歳の難民申請者ファスマさん(仮名)は、5歳から日本で育った。母国の記憶はほとんどなく、読み書きは日本語しかできない。一家には在留許可が出て、9年間日本で働いていたが、まもなく10年になる一昨年に、在留許可の更新ができなくなり、仮放免状態になったという。一家は無収入となり、許可なしには県外に出られなくなった。》
《「私、中学のときに、人間には生まれたときから、みな同じように人権があるって習って、すごいなって感動したんです。でも、自分と周りをみると、なんでこんなに違うんだろうとも思った」。そう語った後、日本人である記者の方を手のひらで指し示しながら、言葉を継ぐ。「私も、同じ人間……、ですよね? 人間の命とか人生はみんな大事ですよね。重さの違いは無いんですよね?」》
「冬になったら命が危険に」公園で耐える難民申請者 人の尊厳とは
https://www.asahi.com/articles/ASSD90FBMSD9UCVL05MM.html
夕刊連載の「現場へ!」難民申請者編5回目デジタル版。
定塚記者は申請者のジョゼさんと共に公園で野宿したようで…。
《ジョゼさんの近くで夜を明かす。もはや珍しくなくなった仕切りのあるベンチでは、横にはなれない。》
《午前3時台になると、ぐっと冷え込んで、芯から震えが走る。とうてい、眠るどころではない。》
《公園にはジョゼさん以外にも野宿する難民申請者がいた。7人に話を聞いたが、保護費の申請が通った人はいなかった。
これから、厳しい冬が訪れる。申請者の一人は言った。「冬になると、命が危険になると思う。ときどき思い出して、見に来て下さい。もしひどい状態だったら、助けてください」》
保護費とは。第1回目から抜粋。
《83年以降、外務省の予算から「保護費」という申請者への支援金を拠出している。これを元に、政府の委託を受けた公益財団法人・アジア福祉教育財団の中にある「難民事業本部」という組織が支援を行う。支給は原則4カ月間のみで、住居・医療費のほか、生活費として12歳以上は月約7万2千円、12歳未満は半額が支給される。だが、年間の難民申請者数と比べると、保護費の受給者数は5%程度にとどまる。》
真冬の駅、子ども2人と震えた 公的支援だけなら「みな死んでいた」
https://www.asahi.com/articles/ASSD87V94SD8UCVL03YM.html
夕刊紙面「現場へ!」の難民申請者の第3回目。これはデジタル版のほう。
《ドイツを中心に、難民申請者の生存権を研究する千葉大学助教の山本響子さん(30)に聞くと、「ドイツでは、到着した日から住居と食べ物、衣服、医療などが与えられるので、通常、路上生活にはなりません」と話す。ドイツでは昨年、日本の20倍以上にあたる33万人の難民申請があった。》
《住居支援に力を入れてきたつくろい東京ファンドも、寄付金の減少に加え、イディさんのような人への継続支援の費用がかさみ、運営は厳しい。今年は600万円ほどかけて、新たに14世帯を路上から救ったが、来年は2~3世帯分しか新たな支援の費用を捻出できない。同ファンドの大澤優真さん(32)は「大げさではなく、救える命が救えなくなる」と話す。
公的支援の保護費支給に、イディさんは2カ月半かかった。支援団体によると、それでも早い方だったという。「もし公的支援しかなかったら?」と聞くと、イディさんは少し視線を落とす。「冬に2カ月外にいて、病院にも行けず、食べ物もない。そうしたら、おなかの子も含めて、きっと、みんな死んでいたと思う」》