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「やらされた」「しかたがなかった」という語りの危うさ
―毒ガス製造の島が問う広島の加害の歴史

《藤本さんが訪れた中国、北坦村では、1942年5月27日、地下道に逃げ込んだ村人らに毒ガスが投げ込まれ、犠牲者は約800人といわれる。藤本さんはそこで、心からの謝罪を伝えた。》

《「自分は毒ガスをつくる鬼だった、と生前におっしゃっていました。その鬼を育てたのは誰か? 軍国主義教育、国家ではないか。戦後の民主的教育の中で人間に立ち返ることができた、だから人間として行動しなければならない、と」》

《「国がやるからしょうがない、国が兵隊に行けというからしょうがない――そうではなく、自分の責任として感じて、これからの反戦平和を構築し、幸せに人生を全うしてほしい」と、次世代への願いも語る。》

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