グザヴィエ・ドランが『私はこの仕事をやりたくない。2022年で世界は劇的に変わった。この世界で、私はもはや必ずしも物語を語り、自分自身を語る必要性を感じない。私は時間をかけて友人や家族と一緒にいたい。』(翻訳ソフト)と言ったという記事紹介を見て思い出すことがある。
ドランが映画の中で「荒れた母親に文句言いつつ溜まった洗濯物を洗濯機に放り込む」演技で、洗濯物を一々全部裏返しにしてから放り込んでるのを見て、素のドランを見ているようで私は胸がギュッとなった。
そのシーンが今も鮮明に思い出されて、彼が今映画を撮りたくないって言ってるの腑に落ちる気がする。
映画って、そういう細部に演出だけでは不可能なモノが見えて、それが何年経っても頭から離れない。そんなところが好きだなと思う。