基本的には記録映像として進んでいくのだが、事態が決定的に変わる場面で映像的なギミックを仕込んでいるのが印象に残った。あの場面によって本作は「記録映像」としてだけでなく「映画」としても強度あるものになったと思う。前後の編集や変化が生じた後のファーストカット、さらには映像の鮮明さやサイズの違いで「変わった」ことが強調されるのだ。だからこそ「こんなにあっさりと変われるのに、変えることができたのに」という絶望感にブーストがかかる。言い方が適切かはわからないが、秀逸だと思う。
そのまま畳みかけるように時は流れ、最終盤の問答でタイトルの言葉が満を持して登場する。問いを投げられた相手がどう返したかは本編を見てほしいが、わたしは正直それに対して有効な答えを持ち合わせていない。いや、もしかしたら答えそのものを差し出すのは簡単なのかもしれない。しかしいざこの作品を目の前にすると「こうすることでしかこの家族は生きられなかったのではないか、形を保てなかったのではないか」とすら思ってしまう。故に、言葉に詰まる。