『ブレインウォッシュ BRAINWASHED: Sex-Camera-Power』(2022年)を観た。

 映画のカメラワークというか取り方、「まなざし」が、どれだけ男性目線で、どれだけ性搾取的か、という…これでもかというほどのエビデンス(実際の映画のシーン)を用いて証明するドキュメンタリー映画。
 アリス・ギイはじめ、ハリウッドにはそれなりに女性監督や女性作家がいたにもかかわらず、立派な産業に成長した代償として(?)ウォール街(金融界)がハリウッドに進出したことで圧倒的に男性監督・男性作家・男性プロデューサーが支配する世界になった、という。
 女性の身体に沿って、まるでレンズが身体をなめるように、女性の胸、から下半身を映しているシーン。よくよく考えればどの映画にも女性の登場シーンには当たり前のように存在する。『プリティーウーマン』のヴィヴィアンの初登場シーンもそれだ。ソフィア・コッポラですら、『ロスト・イン・トランスレーション』でそう撮っている。。。
 なぜそう映す必然があるのか?というような、文脈や役柄と無関係に女性の胸とお尻をやたらと強調する映像が溢れている。
(続)



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(続き)
 何の疑問も抱かずに映画を見続ける大衆は、いつの間にか、女性は客体であり、常に「観られる側」「撮られる側」「評価される側」「品定めされる側」「搾取される側」であると、無意識のうちに刷り込まれていく。
 ・性暴力の果てに加害者に恋愛感情を抱く女性
 ・性暴力を受け入れる女性
 ・性に積極的な少女
 いずれも男性の妄想だが、その妄想を具現化した作品を繰り返し観ることで、大衆(男性)は「No means Yes!」とレイプ神話を信じ込むようになる。
 ヒッチコックの『めまい』、スコセッシの『レイジング・ブル』、タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』、果ては『風と共に去りぬ』まで、Male Gaze=男性のまなざしは女性の身体の上で暴力的に跋扈する。

 たぶん「オレの大好きな作品にケチつけるな!!」という気持ちを克服できずに難癖つけて拒絶する男性陣は少なくないと思う。そういう人間に与しないためにも、自戒を込めて学び続けなければならない。



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