『関心領域』を観てきた。
先週金曜日からの公開なのに、すでにパンフレットは売り切れ。
ほんとうに、「映画館でなければ観る意味が無い作品」だった。
川遊びを楽しむ一家。
お父さんが奇抜な髪型。
お父さんの誕生日を祝う風景。
お父さんが軍服を着ている。
お父さんが出勤する。高い塀の向こうに見える、強制収容所。
洋服を分け合う女性たち。
歯磨き粉の中から見つかったダイヤの話。
常に怯えたような表情の使用人。
毛皮のコートを試着してなにかを見つけクリーニングを指示する奥さん。
夜中に廊下に出てきてしまう、不眠のような夢遊病のような子ども。
ベッドで、人間の歯を、おはじきかビー玉かのようにたくさん集めてしげしげと懐中電灯を当てて見つめる子ども。
書斎にて、効率よく「荷」を焼却するシステムを開発者(研究者?)がプレゼンし、合理的だと感心するお父さん。
昼も夜も、高い塀の向こうからは、叫び声、うめき声、泣き声、怒号、銃声が聞こえてくる。どんなシーンでも絶え間なく、聞こえてくる。
『関心領域』続き。
奥さんの母親が邸宅に滞在しにやってくる。
きれいな寝室や自分がデザインした美しい楽園のような庭を見せる奥さん。
17歳の時からの夢を叶えた娘を幸運だと喜ぶ母親。昔の知り合いのユダヤ人はもういない。革命思想よねと嫌悪しつつ、そのユダヤ人の家のカーテンが欲しかったと語る奥さん。
誕生日プレゼントのカヌーをこいで、お父さんは子どもたちと川で遊ぶ。
川で泳いでいると濁った水が流れてきて、異常を感じたお父さんが手でその水をすくった次の瞬間、慌てて川を出て、子どもたちにも川から出ろと叫ぶ。
子どもたちをカヌー乗せて、雨の中、引っ張りながら川の中を歩いて急ぐお父さん。
帰宅後、子どもたちを慌てて洗う。黒い何かでシンクがシンク(風呂?)が汚れる。
庭にたくさんの灰がまかれる。その灰を肥料にして、花も野菜も育つ。
ガーデンパーティーのさなか、お父さんが自身の異動を奥さんに告げる。なんで今言うんだと怒る奥さん。
お父さんは黙ってつかつか歩いて去り、私に背中を向けないで!と怒鳴りながら追う奥さん。
頑張って念願の庭をデザインして手に入れたのに異動!?一人で行きなさいよ!と川の畔で夫婦げんか。
(続)
『関心領域』続き。
監督が言うとおり、現在の話として撮られている。
塀の向こうで何が起きているのか、明確に知っている人、なんとなく知っている人、知らないけれど「異様」を感じる人。
塀の向こうからの音がまったく気にならない人、気になって行動にうつす人、気になって逃げる人、気になっていないつもりだけれど確実に影響を受けている人。
登場人物だれもが、現代のだれかに当てはまる。
映画は観客に「君のことだ」、と言ってくる。
観ながら何度も、思わず「こいつら狂ってる」と思ってしまう。けれど「狂ってる」と思ってしまってはいけないのだ。彼らはぜんぜん狂っていない。彼らは私たちと同じ人間だ。
私も、世が世なら、彼らに混じってガーデンパーティーを楽しむかもしれないのだ。
たまらなく怖い。
そんな怖い人間にならないためにも、今、ここで、踏みとどまらねばならないのだ。
ルドルフ・ヘス所長といえば、コルベ神父さまの身代わりの申し出を「許可」した人。
アウシュビッツ=ビルケナウで、ヘスの絞首台を見たことは覚えていたが、邸宅を見た記憶がなく、写真をあさっていたら、あった。
見学できないエリアだった。