『グリーンブック』が“white savior”だ、という批判について。
今のところ、それは違うんじゃないかなぁ、と思う。
この場合の“white”はトニーのことを言うのだろうけれど、トニーはイタリア系移民で思いっきりWASP社会から差別・排除されてるし、イタリア系移民のコミュニティで生きていることがアイデンティティの軸になっていることが重要なファクターになっている作品だから、トニーを“white”とまとめるのは雑すぎると思う。イタリア系移民がさらに黒人を差別する複合的差別は大切な要素として描かれている。トニーが一方的にドンを「救う」わけではなく、トニーもドンから影響を受けて成長していく。
ハッピーエンドであることが「現実がこんな調子良く幸せな展開になるわけねーよ」とスパイク・リーをいらだたせるのかもしれない。けれど現実はサイテーだとしか描いちゃいけないわけではないし、差別の解消は人類共通の目標なわけだから、フィクションの中で、これくらいのハッピーエンドは観たい。
別に「白人が観ていて心地よい映画」ではないと思う。地方でドンが受ける数々の差別には吐き気がするし、演奏会を主催している人間までもが白人のトイレを使わせないという容赦ない場面には涙が出る。