去年の年末あたりから鉄剤による貧血治療してたんだけど、70前半だった数値が一気に二倍(140前半の正常値)になったせいか、頭も大分回り始めた感がするのな…でもさすがに仕事による残業+十万字執筆…二倍の恩恵ってこういう事なの…?とはなってる
プロットから外れていくと手放しで歩いてる感じがしてちょっと怖くもあるけど、でもそうして作り上げたものは大体大作になるんだよな。残り十日、頑張って駆け抜けたい…奇しくも今回はそんな話になる予定です。
今回の本、なんととんでもない事に12章+1章のアホ構成になってるんだけど、そのうちの1章がまるまる出来てなくてやっと手を付けてるとこなんだけど…ほんとこういう所が一番締め切り間際で一番膨らむんだわ…
LB7ですごいなと思ったもう一つの要素といえば、やっぱりカドックなんだ…隕石が落ちても死んでたまるかとばかりにキメラ化してでも生き延びた異聞帯担当をミクトランに乱入させるなんて展開、ヤバいにも程があるでしょ…そこはもうきのこ先生の神采配だとしか思えないんだ。カドックは我が強い、反逆の塊みたいな奴だから、ベクトルなんかクソくらえのスタンスなのよね。彼自体が抑止力枠みたいなものなんよ。
LB7の世界観(個人用メモ)
今日の世界ふしぎ発見を見て思ったけど、生贄文化を軽く触れただけで終わらせた放送内容にも一種の「善」を感じてしまったんだな…「善」とはその時代の価値観、極端に言えば正的ベクトルに過ぎないので、だからこそシステム的に生贄を礼賛するテスカトリポカ的話題にも触れられなかったのかなとも思ったり。まぁ仕方ないんだが…あれ深くやったら放送できない。
マィヤという善を具現化したようなシステムを敷いたミクトラン世界観は、そういう意味でも面白いのよね。
ディノス達は頭が良いけど指向性、感情がない。だから良い方に働かせようとマィヤが存在する。そうでなくてはマィヤ自身(宇宙から飛来したもの)も滅ぶだけだから。
この一蓮托生なシステムもマヤ文明の在り方そのもので、「生贄を捧げる事によって皆が生かされる」という、現代を生きるものにとっては首を傾げざるを得ない価値基準そのもの。
そんな地に来たデイビットもまた、宇宙に在るものによって「善」というベクトル、隷属を強いられるもの。よりにもよって相棒が「我らは彼の奴隷」とさえ称されたテスカトリポカではあるけど、そのシステムを知り尽くすだろう神なんて、もうこれ以上にない相棒よね…デイビットにとっては今のベクトルに拮抗出来る別のベクトルでもあるからね
デイの話(偏見が過ぎる所感)
デイの疾患はギフト、もしくは発達のそれに近いもの、それゆえの幼さ(積み重ねの少なさ)もあるので、単純に子供と捉えるのはまた少し違うと思うのよね。
もちろん何を「子供」と定義するかにも寄るけど、単純に子供と見る人の解釈はちょっと警戒してる所。彼の精神的時間の積み重ねは一日五分だけど、それでも身体的時間の積み重ねは一日二十四時間だから…。(彼はそれでも一日二十四時間の認識があるので)(一日五分はあくまで記憶のサイズ)
春明狐(一次)/夏夜鹿(二次)名義でやってます。オタクで物書き。