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一昨日頃に「迷惑」についてのトゥートをブーストして以降、ずっと「迷惑」について考えていた。
日本では「迷惑をかけないこと」がまるで立派な人間の第一条件のように語られる。もちろん迷惑かけずに済むならそれに越したことはないけど、人間社会暮らしている限り迷惑をかけずに生きるなんて絶対に不可能だと断言できる。なぜ日本人はこれだけ「迷惑かけるな」というワードが好きなのか、その理由の一つは「自分より立場の弱いものを糾弾する名目に最適だから」というのがあるんじゃないか。
どういうことかというと、日本人が本当に迷惑を許さない集団なのだとしたら、例えば歩きスマホや歩きタバコ、優先席の占領や絡んでくる酔っぱらいなど殆どなくなるはずだ。しかし現実にはそれらを注意する人はほぼ居ない。その一方で、満員電車の中でのベビーカーや車椅子は「迷惑だ」と糾弾してみせる。自分より弱いものにばかり一方的に向けられる。「強者」による迷惑は迷惑として認識しない(もしくは黙認する)。
成田悠輔を筆頭に、高齢者憎悪を煽る人間をよく見かけるようになったが、連中が「集団自決
」を唱えるのは間違いなく、高齢者を「迷惑」と捉えているからだろう。つまるところ、日本人の「迷惑かけるな」は一種の優生思想と考えていいのではないか。

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