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さっきまでしてた話とは直接関係ないのだけど、今年バズってた『言語の本質』 はやはりよかったので読書記録を別所からサルベージ。
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『言語の本質』読了!

いろいろ興味深いところあったけど、「記号接地問題」というのを初めて知ったのと「アブダクション推論をするのはヒトのみである」から言語に切り込む考察が特に面白かった。

たとえばいちごとりんごの味の違いをAIは流暢に説明するかもしれないけど、それは意味を「わかっている」と言えるのか?子どもはそれをうまく説明できないかもしれないけど、それは違いを「わかっていない」ことになってしまうのか?……
この本が取るのは、言語を身につける第一歩目は身体に接地している必要があるという立場。読み進めるとうーん確かに……?
結局言語はどれほど進化しても、人間が主たる使い手である限り、身体の"ない"ものが使いこなせる記号にはならない(なれない)のかもしれない。

(ちょっと語りたいこと多い本だったらしく続きがあった)
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アブダクション推論は、確かに言語を学ぶにあたって最早本能レベルで自然にやってるなと感じる。

赤くて丸い初見の果物を見せられて「ringo」と言われたら、私はまず「丸くて丸い果物はringo」と理解するだろう。その時逆に「ringoとは丸くて赤い果物である」とほぼ無意識に一般化するのは、確かに論理的には全く正しくない。AならばXとXならばAはイコールじゃない。冷静に考えたら当たり前である。
が、ヒトはこれに限らず、過度に一般化して推測・予測するクセがある。本能と言っていいほどに。アブダクション推論はヒトにとって最も自然な思考で、生存に欠かせない武器なのだ……と。

うーん。確かに、この「過度の一般化」という論理破綻を呼吸レベルで自然にやらないと言語って学習できないのかもしれない。
なぜヒトだけが言語を持つのかな?読後もふわふわ考え続けてる。

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