> 市場は、人々の善行、勤勉、功績(パフォーマンス)、さらには、ひよっとすると開花していたかもしれない潜在的能力(capabity)等に対して報酬を与える機構ではない。これらの人的なメリットは、主観的価値にすぎない。ということは、“市場は功績・努力・潜在的能力に応じた所得分配に失敗している”との主張は本来成立しないのだ。“私の所得は公正であるか”という問いは、最も大きな機構組織 一国家、より分かり易くいえば政府一によって富が分配されている場合には成立しうるが、開かれた自由市場においては成立しょうがない。市場は道徳的価値のヒエラルキーではないのである。……政府が「各人の必要に応じて」所得を再分配するとなると、それは必ず恣意的となるだろう。……一国の住人すべてが、真価や道徳的な行為の評定を政府から受け、常に信賞必罰を覚悟して政府の命令に服する、国家公務員のごとくに扱われるようになるかもしれない。