昭和文学全集では高村光太郎と萩原朔太郎が同じ冊なのだが、これがまあ見事な対照で。
高村が詩人でありながらそれなりに愛されて育った職人であり、半生を智恵子への愛に捧げて、世の中の美しさをどう作品に表すかに心血を注ぎ、世界を知っていて論理思考、人間全体どころか世界そのものに対する一定の敬意と恥じらいを持っている、都会出身で田舎の自然を好む人間であるのに対して、萩原の詩に滲み出るのは愛されたこともなく愛することも知らない典型的弱者男性の心性、ひどいミソジニーの性欲直結野郎で、実際の人生でも妻に逃げられ子どもを実家に放擲していて、世の中のひどさ汚さ、恐怖と不安を詩にうたい、詩論は感情的で、田舎が嫌いで都会を好む人間。
全集をつくった人、やるな、と思う。

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高村光太郎は詩にしても文にしても、とにかく大量の人名が出てくるんですよね。いろんな人や考え方を見て関わって、その結果として今の自分を世界に位置づけているというような印象がある。
対して萩原朔太郎は、〇〇派までは出てきても、誰が何を言ったとかどの人からこう教わったというような具体的な話がほとんど出てこない。布団の中にくるまってSNSを見ながら呪詛を吐いてるイメージがある。

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