トラウマのことやそのケアのこと、「流行り」みたいに思われたり、ぱっと見には対応も整備されているように見えるけど、実は全然進んでいないところは進んでいないと思う。

ちょっと前の「LGBTなんだね!で、LGBTのどれなの?」じゃないけど、「トラウマ=戦争、虐待、犯罪被害」みたいな感覚があると思う。

もっと言えば、たとえば「グリーフケア」が導入されたことでまるで人の死はトラウマではなく自分で何とかするものだというように扱われていたり、「災害」も日本では多すぎるせいか独自のカテゴリとして捉えられてトラウマのカテゴリから漏れていたりと、意図的か非意図的かは分からないけど、「あえて別のカテゴリーとされ、自助に任されているトラウマ」があると思う。「トラウマ」という言葉は日常的に使われるのに、「他者から(ときには公的に)ケアされるべきトラウマ」から外されている。

たとえば社内の人が自死し、その事務処理に携わったとき、私は自分がケアされるべきだと感じた。でも誰もそんなことは思いつきもしないらしかった。親しかったわけでもない人が亡くなったのはグリーフケアの対象でもなく、犯罪でも戦争でも虐待でもないので、ケアが必要なら自分で調達して自分で対応しなきゃいけない、というのが今の日本の考え方。そのケアも、どちらかというとツールを使うよりも、早寝早起きや食べ物や趣味や…要するに「自助努力」で何とかすることが想定されている。およそケアということに無頓着すぎると思う。

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もちろん努力している人はいる。被災地に入り込んで子どものためのプログラムを開催している人たちとかね。でも、戦争が多いアメリカではPTSDの研究が飛躍的に進んだのに、これだけ災害が続く日本で災害時の大量の要ケア者に対する集団的ケアについての話がまったく進まないのはどういうことなんだろう。そこから発展して、もっと多くのトラウマとそのケアが「発見」されて良いはずなのに。誰が無視していて、誰が代わりに責任を負わされているだろう。

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