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私の「プラン」のキモは、
・あくまでも現状が続けば、上手くいけば、見えている範囲で言えば、etc...でしかない
・したがって時や状況とともに内容(最終ゴールも含め)は変わり得ることが想定されていて、逆に言えば変化に対応できるようにすることも含まれた内容である
・ベターを目指しているだけで、絶対にそうなりたいとか、そうならなければいけないみたいな強い思いはない
・ただ、現状から見てのベターを考えている以上、「今何をするか」は常にある程度見えている
というあたり。
で、キャリア相談を受けた専門職は、「今何をするか」が見えていることをもって、「助言の余地がない、きちんと夢目標がある」との結論に至る。
ただ根本的な悩みは私の場合おそらくそこではなくて、本来的に矛盾を抱えていること自体が問題。私はそもそも時間やタスクややり方を決定する自由がないと死んでしまうタイプの人間なんだけど、その一方で常に基盤の安定を求めていて、大きな冒険を好まず、不安が強い。だから安定した基盤を最大限守りながら自分の自由も叶えていこうとすると、失うものを極力減らしてベターを選んでいく今のスタイルにならざるを得ない。本当は私が欲しいのは拠り所なんですよね。安定した基盤であって、その上で好き勝手できる拠り所。
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なんだかこんなのがゴチャッとなって、結局上司にノープランと答えながら「たとえあってもあなたみたいな台風の人には言いませんが…」と思っているところがあるのは否めない。だって後から「前はああ言ったじゃないか」とか「(お門違いの方法で)応援してやったのに」とか言われても責任持てない。私の夢目標はそういう類のモノじゃないから。
でもじゃあ私はほんとにノープランでダメな人なの?
じゃあ反対に、相談した人が言うくらいしっかり決まっていて非の打ち所がないの?
正直よくわからなくて、どっちでもない気がしている。なんというか、私のような夢目標の立て方持ち方が、そもそも世間から想定されていないイレギュラーな何かな気がしていて、それを明確に指す言葉すらないような気がする。
仲間がいたらこれについて話してみたいし、どう呼んでいるか聞いてみたい。
オチとかなくてごめん。おわり。
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上司が想定するような…というか想定するからには本人そういう人なんだろうけど、何は捨ててもこうなりたい!と思って走れる人は、目標が定まっていないことが悩みになることはあるが、目標が決まってしまえば挫折するまで悩まない。キャリア相談てそういう人のためにある気がする。ある意味、安定だけを心底希求する人も、安定のために自由を犠牲にして組織に尽くせるから似てるといえば似てるんだよね。
ところが私の場合は、そもそも自由人で組織に向いてないのに、安定が欲しい。だからなんだかこんなねじれた方法でしか考えられない。夢目標を本当の意味で持つことができないし、今やることをとりあえず決めても答えが見えないこと不確実であることに不安を抱えてしまう。
で、それをさらに、なかなか言えない。目標は人に話すと潰される奪われる、頑張っている姿を見せてはいけないと思っていて、おそらくそれは子どもの頃の経験と結びついてるだろうけど。夢目標であったとしても素直に言えないし、自分が持つこの不確実なモヤッとした道筋が夢目標だと胸を張ることもできない感じがある。しかも私はそんじょそこらの自己啓発本も顔負けに自分に厳しいので「こんなに怠けてばかりで全力を尽くさずに夢目標だなんて口幅ったい」とすら思っている。