私は手帳を持っていないという点で「健常者」だし、特に身体について障害というようなものはないけれど、子どもの時から映画館や劇場の車いす席が端っこにあることに気づいていて「どうしてなんだろう」と思っていた。今でも、足腰の悪くなった祖母と歩いてみると、自分が普段エスカレーターやエレベーターの位置をある程度把握しながら動いていることに気づく。だから最近になって合理的配慮が出てきて「言われて初めて端っこに席があることに気がついた」などと投稿されているのを見てびっくりする。
おそらく彼らは私が見ていない何かを見ているのだろうとは思う、だからきっと彼らも「ぼーっと生きている」わけではない。けれど、ことバリアフリーとか配慮ということになると、これでは道のりが遠すぎて、思わず責めたくもなってしまうことがあるのだ。
子どもの頃の私は、子どもだからこそ、大人たちは何か深遠なる考慮の結果として、最大幸福を追求して、端っこに席を置いたりしているのだと思っていた。大人になるにつれて、どうやらどちらかというと「健常者の幸福」を追求した結果そうなっているのだということは理解してきていたけれど、今になって「まずそこから!?」な投稿を見ると、実は何も考えていない、誰の幸福のためとか無思慮無考察で、自分の仲間のことしか考えていなかっただけなんじゃないかと…30年生きてきてやっと知った。
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