ここ数ヶ月いろんなサーバのいろんな出来事見てきて、サーバ規約で倫理をやるのは限界なんかなと思うようになってしまった サーバ側でやるのは法律に反しないように規定するくらいで、各人が自己の基準でモデレーションできるツールを渡す方がそれぞれ穏やかにまとまれるんじゃないだろうか Fedibird住人の感想
「インターネットで見たくないものが流れてくるのは当たり前では?」と思ってしまってCWや公開範囲指定、ハッシュタグ付与を億劫に感じてしまうので立派な老害として育ちつつある 危険だ
昨日テレビで見た話。
説明する人「バスタオルは毎日交換しないと菌が繁殖するので毎日交換してください」
コメンテーター「菌が増えるとこまるの?ギリギリ何回使える?」
説明する人「菌が増えてしまうと体に菌がついてしまうので毎回交換しましょう」
コメ「菌がついて困るの?人体ってバリア機能があるからある程度平気なんじゃね?」
説明「菌が増えてしまいますので」
見事な平行線。よかった。
値上げ前に滑り込みでとうとう買ってしまった……。グタールのアンマタンドラージュ・オードパルファン。オードトワレに比べるとくちなしの甘さやクリーミーさをチュベローズで表現するさまが全面に出てて、おしゃれしたママ(概念)の腕の中で甘えてるような感じで癒されてしまった。甘やかされたい日(毎日)に纏いたい……。
QT: https://fedibird.com/@3dRikka/109789876389301898 [参照]
同調圧力や平和圧力、日常圧力はどこの社会にもあって、多くの人たちが、いつもシリアスで先のない絶望に満ちた話は聞きたくないというのもわかります。
口を開けば批判や不満ばかり言う人たちと一緒にいたくないというのは生理としてあるだろうと思う。
それはわかる。
一方で朝から晩までお笑い芸人(のような人たち)が現状を顧みずくだらない笑い声への賛同を無言で強いるような社会も私はごめん被りたい。
自分は自分でありたいし、笑う時は笑いたいし怒れるときには怒りたい。
社会が全体としてそういう「日常」と「批判(のようなもの)」のをあり様として、受け止められる社会に暮らしたい。
「今、ちょっと彼が言いたいことがあるようだから、少し彼の話を聞こう」といえる社会。
場の雰囲気を壊すことばかり恐れ議論を封じる社会は自分としては未成熟な社会(日本はそういうところがある)として受け止めるので、リアルの会合でも、あえて雰囲気を壊しに行くところはある。
みんな嫌だと思うけれど少し言うよ的な。ことを言って。くどくどは言わないようにはしている。伝わる人には一瞬で伝わるので。
落語家の笑福亭笑瓶さん死去 66歳(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/3d9df3700ebf251095b05b40253d4711096acc0c
なんと
マストドン始めたばかりでルールがわからないです。よろしくお願いします。
https://tabtter.jp/diary/u/59807095