「リベラルフェミススト」も「マッチョ左翼」も「介護は安い方がいい!良い待遇で!」と言っていて、ほんと、そういうとこだそ!と思う。
ナンシー・フレイザーの言うところの「コストを転嫁しておきながら、その転嫁を否認している」、それだよね。

介護は、ケアワークは、「誰にでできる仕事」では、ないんですよ。適性がある。プロの技術もいる。それに、多くのニーズがある。
だけれど、資本主義の男性中心主義的な価値観だと、その価値観においての「生産性」が重視される。「生産」!「再生産」!マチズモ的な男性的な価値観ですよね。
ケアワークは、いまは男性従事者もいますが、もともとは女性が担ってきた。だから、男性中心主義的な社会の中で、ニーズもあるのに、低賃金労働に抑え込まれているのです。「女性が、"愛情"のなかで、奉仕の心でただでやればいい!"愛情"があれば、誰でもできる!!」と。
高齢化社会で、「低賃金で働く介護ワーカーの人手が足りない!」というのは、身勝手です。私やあなたが、尊厳ある終末期を迎えたいなら、国家政策として、介護従事者の賃金を上げるように働きかけましょう。

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政治家を含む富裕層の人達は、「俺だけは"介護のエキスパート"に頼むわ!」と思っているかもしれませんが、排泄への誘導や、風呂の入れ方など、さまざまなところで「富裕層特権」みたいなものが無効になるんですよね……。どんなに金をかけても「風呂の入れ方」とかには"丁寧"を越えた技術がない。「生産性」を超えているのです……。
富裕層向きの介護しか望まないところに、「介護」の専門的な技術は広まりません。
富裕層が「俺だけは専門職に介護されて」と思っても、業界として育っていなければ、モノみたいに扱われて終わります……。ビリオネアなのに、最期はモノ……。そんなに哀しくていいのですか。

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