私としては、「正しい」という感覚を、「善の構想」と「正義」に分けて欲しいのです。
「善」が「暴走する」というのは、私としても実感できる。
ジャッジメントで、個人の善、例えば、「パレスチナに比べると、シリアは知らん」みたいな、興味だけで事態を振り分けるみたいなこともあると思います(「そんなマイナーなことより、パレスチナを!」みたいな)
ですが、「正義」という、積み上げられてきたタームを雑に扱って欲しくないです。
「正義」という公正のバランスがあるから、私のような幻聴もちや、マイノリティが生きていられる。マイノリティ自身は「善」に疲れても、「正義」を拠り所にしています。あなたもマイノリティであり得たし、マイノリティになり得るんだよね、と思います。