「障害者は感謝しろ!」ってすぐに言われますが、健常者も別に感謝してないですよね。ここに階段が設置されていることに、ここに街灯が設置されていることに、ここに椅子があることに、ここにスピーカーやマイクが設置されていることに、漢字を交えた「読みやすい」説明書が用意されていることに、パネルタッチがあることに、毎回感謝してないでしょ。
健常者は「感謝しなくても日常をやりすごせる」のが特権なのです。「店員さんに、ありがとう!って言ってる」みたいなのは、そりゃ、余裕があって良かったね、私も言うけど何か?って感じです。もっともっと、障害者は感謝を強制される。
「弱者は申し訳無さそうに生きろ!可哀想なときだけ、助けてやる!」みたいなのが、この国の「道徳」なので、「人権」を学んでね!という気持ち。
「俺達が税金を多く払ってるんだぞ!」というのも意味がわからない。
税金の多寡は、公共物の設置に関係ないですよね。税金を多く払っている人がよりいい道を、いい街灯を使ってる?高性能なタッチパネルを?そんなことないですよね。
その上で、障害者も税金を払っているし、障害者のニーズによって雇用が生まれている。薬物療法をとっていれば、医者や製薬業者が、車椅子や補聴器などを使っていれば、その製造業者が、介護や福祉が必要なら、介護や福祉の職員が必要とされ、雇用が生まれ、彼等もそこから税金を払っている。
「経済を動かしているのは、健常者だけ」というのは、見当外れの傲慢です。