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どうして女性だけが、自身の見目を棚に上げた権力ある男性にジャッジされなければならないのですかね。なぜ、「どんな声もありがたく」などと、差別を受け入れないといけないのですかね。それは強さではない。

上川外相 麻生氏の発言を問題視せず “どんな声もありがたく” | NHK | 大阪・関西万博
www3.nhk.or.jp/news/html/20240

ルッキズムに対してのルッキズム的な反抗 

「お前は自分の品性でひん曲がった顔つきを鏡で見よ。"美しくない"などと男性が女性の表面的従順さを"美的"にジャッジする、そういう皮肉が表情に出ているのだ。保守ならば、自分の顔つきに責任をもて!」
とも言いたくなります。
麻生太郎は女性の自律した顔つき、オーラを「美しくない」と見るんだよ。麻生太郎は男尊女卑構造に、女性を貶めようとする。
「美」は構造です。私達を苦しめる、老若や、痩せている/太っているや、男らしい/女らしいは、男性中心主義のなかで社会化されて内面化された他者(大文字の男性)の欲望です。

こういったことを些末なことだと思うのは、法整備の上での男尊女卑構造を温存させてしまいます。男性だけがジャッジマンであると、権力に見做されている世の中は軋んでいて、やがて破滅に向かいます。
しっかり批判すべきです。
「歪んだ見識で、女性差別をするな!」と(私は男女二元論を取りませんが、構造に埋め込まれた男尊女卑は考えるべきだと思います)

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