学校の「読書感想文」という課題はさ、「感想」に正解があるように思わせるのが問題なんだよね……。コンクールで競わせて、序列化する。で、「道徳」的に正しいものを選ぶ……。
自由に感想を抱き、書かない自由も選べた方が良いよね……。
なぜ読むだけではダメ? 読書感想文を書くことの意義とは 識者「どんなに拙い文章でも“自分で”の充足感」(1/3)〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/aera/2023072000094.html
「感想」は大事だし、「構想」も作文では大事。
なのだけれど、「感想」のゴールが「何に共感したか」「何を学んだか」という「道徳」しかなく、その「正解」は学校では伏せられている。
で、市販の副教材を買える者しかその「正解」を知ることができないのに、そのままジャッジされるのが「読書感想文」のシステム。
さも「自由」に書けるかに見せかけながら……というのが「リバタリアン・パターナリズム」で、日本的なんですよね……。
「建前だけ自由」というのが、自己責任論を温存するんですよね。
まあ、こういうクソシステムばかり構築している日本で生きていくのは身に付けないとね!みたいなことが「教育」なら、ある程度「成功」して、この有り様なのではないですかね……。