政治の話が好きな原体験として、子供の頃に学童代わりに旧社会党員だったおばさんの家に預けられてたのがあって、そこでは大皿いっぱいの料理がでかいテーブルに並べられ、車いすの人、幼稚園の先生、画家、登山家、新聞記者、普通のサラリーマンなどが集まり飯を食いながら社会問題について議論をしてて、私は参加することなく部屋の隅で星新一を読みながら聞き耳だけ立ててた。大人たちは真剣に議論するけど、特定の政党や個人を批判することはなかった。私に意見を迫ることもしなかった。お菓子くれるだけだった。優しく、真剣で、真面目な人たちだった。なので、それが良い体験として未だに残っているおかげで、政治の話は怖くないし、飯を食いながらお互いを尊重して話をすることなんだみたいな感覚が残っている。彼らが社会党員だっだみたいなのも、私が成人して随分後になってから初めて知ったし、当時はなんかディスカッションが大好きな人たちが単に集まってるだけと思ってたけど

@252sng
政治の原点みたいな感じがしていいエピソードですね。
生活の延長に政治はあるが、その生活に追われている。参加しなくても生活はなんとなく回っているので政治に参加しすることが遠いものになってしまっている、という感じがします。私もそうなっちゃってますが。

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@uekiya ありがとうございます〜! 生活に追われて政治のこと考える余裕ないのめちゃわかるし私もそうです。殆どの人がそうだと思います。ただもっと井戸端会議みたいに政治の話すればいいのになという気持ちがあります。。一方でインターネットに住んでると「“間違った意見”を言ったら取り返しのつかない大変なことになる」が事実としてあるので、だったらもう話さないでおこう、と政治の話のハードルがどんどんあがりますよね……難しー

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