『刀剣乱舞』における戦争犯罪の美化
『刀剣乱舞』(過去にシナリオライターがファンダムを大東亜共栄圏と読んだり、スタンプラリーで靖国とコラボしたり、"我が国の歴史を守るための戦い"に琉球刀を参加させたりしている)に、新キャラとして孫六兼元という刀剣が登場した。
日中戦争で中国人を殺戮するための「百人斬り競争」というプロパガンダと戦争犯罪に使われた刀が「人斬りの花形」としてキャラ萌え消費されてるのをリアルタイムで見るのがキツすぎて凹んでいる。
公式からは「人斬り連中に何かと縁があって」 「気に入っているのは、だんだら模様の奴ら (新撰組)」 「旨い酒に旨い飯、 義理人情と多少の面倒事―そういうものに滅法弱い」 と説明され、戦国時代から幕末の"活躍"だけで装飾されており、この刀がほんの86年前(1937)に日帝により("支那人を一人でも多く殺すため"の)プロパガンダに使われ長く脚光浴びていた歴史は隠蔽されている。
さらに、このキャラ(孫六兼元)はゲーム中で戦闘狂の顔を覗かせ「敵を倒せとほっぽり出されたはいいが、あんなものをいくら斬ったところで満たされることはない」(強い奴との戦いしか楽しくないの意)というセリフを発しており、そりゃ中国人の捕虜や農民をいくら斬っても楽しくなったでしょうね……と暗澹たる気持ちに。
うちみたいな業界人でもないペーペーの馬鹿を雇って電車とかバスとか転がさせてくれて現場の人間が現代的なノリで過重労働じゃなきゃ薄給でやってもいいんだけどそんな所は存在しないらしい
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さらに、電車や地下鉄の優先席みたいに優先レーンを設ければと提案しているけれど、都内大規模商業施設の優先エレベーターを見たことが本当にあるのだろうか?週末とか全然使い物にならないレベルだけど?
それを言うなら、電車の優先席も高齢者や足腰の弱そうな人がよろよろ立っていてもほぼほぼ無視してる人も最近はかなり多いけれど、見ていないのだろうか?
さらにいうと、まさにここに書かれているような「優先席じゃなければ別に譲らなくても良心は咎めない」メンタリティで、目の前の高齢者が必死でバランスを取っていようと、松葉杖をついた人が手すりに苦労して掴まっていようと、乳児を抱き抱えて片手に幼児をつれてもう片手で吊り革を握りしめている親がいようと、まったく気にする素ぶりも見せない人たちも多くて、ああいうメンタリティを育てるのが目的なのだろうか?
「工夫と意欲」とかに頼らず、まずはごりごりとハードを増やしていくことにお金を使うべきだったりしないんだろうか?(エレベーターなりエスカレーターなりが多数整備されていればそれだけ「取り合い」の激しさは減るのではないのだろうか)
この記事、一読したところではかなり違和感があるのだけれど、どうなのだろうか。
地下鉄などのエレベーターで車椅子の利用者が後回しにされる、これはハード偏重で考えてきたからで、「時間と金のかかるハードではなく、工夫と意欲でできるソフトで改善できる」としているのだけれど、都内のJRだのメトロだのを使っている側からすると、工夫と意欲で改善するって本気?という気がしてしまう。
地下から地上に上がるエレベーターに辿り着くだけで一苦労だし、自分の望む出口とはまったく逆方向の一番端っ子にしかエレベーターもエスカレーターもない、みたいなこともある。ある意味で電動車椅子ならまだしも移動距離自体は大きな問題にならないという人もいるかもしれないけれども、杖だの歩行補助カートだのを使っている人にとっては、地上の目的地と地下の駅を往復するだけで、階段を使える人間の倍以上の距離を歩かなくてはいけない、みたいなわけのわからない状況になることもある。
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この後どうしようかな スポーツ公園から何らかを眺めても逆光なのよな