科学的でありたいのなら毎秒検証しつつ違う結果が出たとき素直に公表する姿勢が求められる(ここでいう科学的なるものは、社会がネゴシエーションをするときの価値判断の物差しの一つに過ぎず、絶対的指標ではない)。ところが、本邦の政府と社会は幼稚で未熟なので一旦やってしまったことを素直に間違いでしたと言って行いを中止し反省し被害補償することができない。なので汚染水放出したのちなにか変なこと(これは私がよく言う「AかBかではなく、誰も想定し得ない可能性C」というやつ)が起きてもそれを公表したり、認めたり、中止したり、反省し補償したりすることがすぐに出来ないと思われる。例えばハンセン病や水俣病への日本政府の対応経過という事例を見れば、そうなる可能性がめちゃくちゃ高いのがわかる。なので汚染水の放出というのは、「一度何か起きたらそこで負ける可能性の高い賭け」にベットするようなものなのである(オタクくんたちがよく言うところのコンコルド効果というやつを思い出しなさいオタクくんたち)。科学的でありたいと希求しているくせにPDCAサイクルもちゃんと回せない奴らの政策を支持するのはなかなかに支離滅裂である。