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またも長いのでたたみます。戦争を忌避していた母方の祖父について。(8/9に長崎のキノコ雲を見た祖父です) 

母方の両親(祖父母)は戦時中40代にも関わらず、戦争にできる限り関わるまいとしていた人だったようだ。
特に祖父は病気がちだったこともあり隣組の消火訓練📣 などには参加せず、空襲警報がなっても防空壕にも入らず(曰くこんな田舎まで米軍機が入り込んでいるから、空襲になればどこに逃げてもむただと)毎日海に出て、自分たちの分だけ魚🎣 を獲ってくる生活を続けていたそうだ。…ゲンのとーちゃんみたいな祖父である。

長男を戦争に引っ張られるのを止めるために神主にしたり(実際国学院に入学させてた)。しかしそこまでして守ろうとした長男は特攻に志願し、鹿屋の連隊に入隊したのが8月初旬という危ういところだったことも付記したい。
ずっと戦争が外交政策の一部だったことを知っている世代と、太平洋戦争が最初の戦争と感じている長男との意識のギャップがあったようだ。

今でも戦中世代と戦後世代の意識の違いがあるように「戦争」は長々と世代を分断する。

写真は祖父が魚釣りをしていたであろうあたりの写真。ここで長崎のキノコ雲をみたのだ。

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