世の中は簡単には変わらないし、変えられないと絶望する人たちもいっぱいいるけど、確かに良い方に変わってゆくものもいっぱいある
わたしが子供の頃はこんな写真見たことなかった
今は海外ものなら日常的に見ることが出来るし、日本ですらこうやってじわじわと日常になっていこうとしてる
少しずつでも、いい方向に
少しずつでも
今夜もう無理と思ってる子が少しでも楽になって、せめて朝までしのげるように
出来るのはそのぐらいだよね でも、それが繋いで今がある
犠牲をたてに、変化のための犠牲を求めるようなことは、やっぱり犠牲を生むことに違いないわけで、そういう人の言う「変化」はやっぱり怖い
真剣に、真面目に世の中とむきあっていればこそ、なにかしなければ、もっとなにか、と思いがちだけど、結局はそれも個人の傲慢に過ぎない部分もある
それでもやっぱり何かをしなければとも思うし、きっと何かが出来るはずだとも思う
でも、結局は個人でしかないものに何も変えられやしないわけよ
頑張らなきゃと思うけど、でも、みんなあんまり思い詰めないでね
あんまり時代がよくないから、しんどいだろうけども
善なる義憤も、自他に苦しみを生む執着のひとつ、とブッダは説いた
それが悪いというわけではなくて、それが”生”なのだと
生きるとは辛いねえー