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あさはかだったこと 

動物園界隈の人びとに対しては、進歩は無いのか!?と憤ってしまっていた頃があって。
同じようなマナー問題(動物への勝手な餌やり、フラッシュ問題)に同じように憤り、同じような動物の移動情報・訃報に同じようにお気持ち表明し、人気個体に何か変化があればおろおろと園館公式Twitterに凸し.......それでいて、根本的な解決に至らず同じ繰り言を繰り返してばかりいる。
そう思ったからこそ、僕は違う、と言わんばかりに、動物園に頻繁に通いつつも交流の輪から一定の距離を置き、これ見よがしに社会学や社会政策に関する学識と動物園論を結びつけ、ZINEや短歌といった異分野へ動物園を開く活動を進めてきた。

でも、全部浅はかだったねぇ。動物園に思うようにいけなくなって、よく分かった。
動物園に毎週のように通っている人や、動物園で働いている人から見える「動物園」と、心の中の動物園が遠い人から見た「動物園」は、解像度がまず違う。

僕がやっていたことは、ソト向きを標榜しつつ、ウチの人を「お前ら固まってて変化しないままでいいのかよ」って煽動することに他ならなかったんだなぁ。
ソトの目を引くことで、動物園を命綱としている(ある種、紋切り型以上の物事への言及に耐えられないような)人たちの棲家を脅かしていたのかもな。

あさはかだったこと 

紋切型を必要としている人は確かに存在するのだ。僕は彼らの思考を不自由だと感じてしまうけれど、彼らからみたら紋切型に嵌れない僕の方がふしあわせに見えているかも知れない。

こいびとと将来を考えるようになって、いちおう生き方を「カタに嵌める」段にきていて、なんだろうな……それでも遊動する自分自身はこころのどこかで生き生きとしていてほしいね。うん。

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