大江健三郎作品について 

僕は大江の良い読者ではない。読んだことがあるのは4冊。
高校生の頃に手に取った『個人的な体験』と『「雨の木」を聴く女たち』。昨年手に取った『芽むしり仔撃ち』と『万延元年のフットボール』。
前者の2冊は、ノーベル賞作家という理由で手に取ったけれど、扇情的で刹那的なセックスの描写が理解できなさすぎた。実はこのヒトってヘンタイなんじゃないか、という17歳の潔癖な拒絶が長くこの作家の次の作品を手に取ることを妨げていた(村上春樹や村上龍の性描写よりもいやらしく感じてしまったのは、この作家に与えられた栄誉の権威性と、「国語便覧」での作家紹介を通じて抱いていた人道的な人間像との落差が大きかったからだろう)。
『セヴンティーン』も『性的人間』も手に取らないまま、17歳は過ぎ、大学を出て、長く文芸作品を読むことすらままならない日々が続いた。
後半の2冊は、僕自身の大江文学に対する先入観を砕いてくれた。閉鎖空間と「精神の閉鎖性」について深度ある掘り下げ方をした日本文学にこれまで出会えていなかった。僕自身の奥山育ちという背景とも共振する物語。世界像の全体を見ずスキャンダラスな一部分に過敏に反応していた17歳の日から、ずいぶん遠くに来て、ようやくその文学的豊穣さを味わえるようになったようだ。

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大江健三郎作品について 

『「雨の木」を聴く女たち』、今なかなか新刊書店に置いていないらしい。手放してしまったのは惜しかった。読売文学賞だって受賞しているのに(最近気づいたけど、文学作品に向き合うときの僕って、けっこう権威主義者だ)。

shinchosha.co.jp/book/112615/

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