"推し"カルチャーが隆盛してきた当初からこれには乗れないって立場で来たけど、批判を聞き入れないどころかおかしな角度の"反撃"に転じる手合いも見て、これはだめだ、向こう10年単位で反省の波が来ない気がするからもう触れるのやめたってなってた
思ったより早く顧みる流れが来たけど、わかってたことだけど、最近の反省のムードすらも流行にすぎないというか、ソーシャルの風向きを見てバッシングを受けないようにぬるっとトーンダウンしたり方向転換したりしてる様につくづく白けてる
白けてる。心底。もう批難のために言葉を尽くす気にもならない
ソーシャルメディアが、まあ99%以上Twitterのことだけど、好きすぎるんだと思う。無反省に推しとか言ってられないんじゃないか? ってい反省の波が今どれくらい優勢なもんなのか知らないけど、それを「変われる」柔軟性だとは思わない。
「変われる」柔軟性でも聞く耳を持つ真摯な態度でもなく、Twitterでいかにリスペクトを得られるかに自分を形作る規矩までもが左右されてしまう底知れない不健全さ、そんなふうに見える。し、この見立てをことさら強く打ち出す気にもならない
どうせまたしばらく聞く耳持たないんでしょと思うから。少なくとも思っても仕方ない立場ではあるよなーと他人事のように感じてる
社会は変えられないから自分の感じ方を変えようみたいな糸井重里的態度が一度支持されて、今は旗色が悪くなって久しい(これもまたソーシャル上のごく一部で起こっていることにすぎないとは思いつつ)けど、そういうことをずーっとやってくんだなって、改めて覚悟しとこうって思った
また何かしらの倫理観が流行って廃れるんだって、ずーっとそれを繰り返すんだっていう覚悟
なんか「呪術も扱えない猿共め」みたいなトーンになっててすごくいやだ
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