"マジョリティとしての罪悪感"とそれ故の"苦しみ"をその属性の軸(面?)に照らした時のマイノリティ(場合によってはアライ含む)に相談したり、ぶつけたりするのは理不尽な行いなのでやめろ以外の何ものでもない。(それもはや加害では??)

ただしその属性の軸(面?)に照らした時のマジョリティ同士であると確認できている場に限り、少しでもマシな思考やふるまいをできるようになるための自省的ケーススタディのようなものの一環でまず素直にどのような場面でどう感じたのかを言語化・表現してその背後にある自分の中の偏見・差別思考を認識して学び落としていく事は全く意義のないことではないんじゃないかな。
差別はあくまでマジョリティが行ってきたもので、それが社会システムに組み込まれて再生産されているものなので、マジョリティがそれを自覚しないといけないというアプローチは"間違い"でも"意味ない"事でもないと私は思う。

まぁ要はほかの方も言っている通り、どうしたらより良い社会にしていけるのか一緒に考えて行動していくことに軸足を置くし、置いてほしいって事。

ちょっと言葉足らずだったと反省したので追記。

属性の軸(面?)って話したけど、そんなにスパッとマジョリティ/マイノリティと分けられるものでもないと思うし、軸(面?)に関しても、あくまで色んな背景や経験・感情がある者の話なので、純粋な一要素だけ取り出して来ることはできないっていうのが念頭にあったけど、そこをちゃんと表現してなかった。

異なる軸(面?)でのマイノリティ性を持っている2者がいたとして、その者たちが似たような経験を絶対しないかといえばそんな事はない。
自分がマイノリティ性を持たない属性の軸(面?)の他者の"マジョリティ"の経験としての語りの中で、自身の"マイノリティ"としての経験が呼び起こされてしんどい思いをする事は十分あり得ると思う。(私もそういう事あったし)
だから、マジョリティとしての罪悪感を伴う経験について語る場っていうのは、十分にその語りを聴く者の安全が確保されているか確認する必要があるし、基本的にある程度お互いについて知り合っていて、少なくともトリガーになる事柄を十分に理解し合っているような、かなり近い間柄でしか成立しないと思ってる。

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さらに言えば、その者自身すら自分のトリガーを全て認識しているとも限らないので、そういう危険性を理解して相互に了承し合える状況じゃなきゃ最低限の安全は確保できないよね。

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