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なにかの被害からの回復のためのケアについて、ケアには色々な形・経過があるよねって話 

(語句選択ミスってたので再投稿。)

なにかの被害を受けた時または被害を認識した時、あるいはその後に受けるべきケアって別に形が決まってるわけじゃないよね。(被害の内容や他者が勝手に判断した"被害の程度"も関係なく、ケアにはたくさんのあり方がある。)
専門職の介入が適切な場合もあるし、専門職ではない身近な誰かの寄り添いが適切な場合もあるし、近い経験をした者と交流する事や事情を知らない誰かと日常を過ごす事、誰にも接触しない事、別の事に打ち込む事が適切な場合もある。
その者の他の経験やタイミングや環境によって、適切なケアが変わる事もある。

被害を受けた事実と傷付きに真正面に向き合って、「喪の作業」をする事だけがケアじゃないはず。
例え、事実として被害を受けた者が、被害の事実を受け止めない・否定する言動をしていたとしても、「この者は適切なケアを受けていないんだ」と他者が断じる事は、別の暴力に通じる事なんだと私は思う。

なにかの被害からの回復のためのケアについて、ケアには色々な形・経過があるよねって話 

私は恐らく回復の途上にある状態だけど、ここまでの10年ほどでも色々な状態があった。受けたケアもその時々によって変わっていったし、私自身の状態も様々変わってきた。受けたケアはすべてここまでの回復に必要なものであったし、私の変化していった状態の経過もそうなるべくしてなってきたもので、一見傍からは良くない状態に見える時でも、ここまでの回復に至るまでには避けられない状態であったと解釈している。

特定の誰かの受ける・受けないケアに対して言及するのは、言及する者が責任を持てる範疇でのみに限定するべきだと私は思う。

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