全然読めていなかった「安楽死が合法の国で起こっていること」を少し読み進めた。
ヨーロッパには安楽死後臓器提供が法制化されている国が複数あるらしい。
そんなのいいのか…?「安楽死」に誰かの役に立つという意味を持たせてはいけないんじゃないか…?
安楽死を本人が決める時に「臓器提供で誰かの役に立つなら」が背中を後押しするのを避ける、ってどうすれば可能なんだ?

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医療であらゆる手を尽くしそれでも生が耐え難い状態にある時の最終手段として安楽死を行う、という運用がヨーロッパではできている…というのは幻想…ということ…?
「医療であらゆる手を尽くし」という状態って思ってるほどクリアできるか…?できないよねえ…?という気持ちが強くなってきた。

そもそも医療現場も医療に携わる人間も(社会でこうあるべきとされているようには)ちゃんとしてないとこなんぼでもあるよな問題が自分の中で浮上してきた>安楽死
医療現場じゃない職場がちゃんとしてないとこいっぱいあるように医療現場だって別にちゃんとしてないよな。

安楽死の話する時「医療面であらゆる手を尽くした上で」という前提で話してる場合が多いと思うけど、そもそもその前提がクリアできない場合が現実にはたくさんあるのでは…?あるな??ヨーロッパもそうなんかもしかして?という気持ちが読んでて強くなってきた。

>安楽死の話する時「医療面であらゆる手を尽くした上で」という前提で話してる場合が多いと思うけど、そもそもその前提がクリアできない場合が現実にはたくさんあるのでは

それで思い出したこと。
学校での事故で重篤な障害を負った人の保護者の方へのインタビューで読んだ話。

列車事故(福知山の事故と思われる)被害者が何ヶ月もの意識不明を経て奇跡的に回復した、都会の先進的大病院に治療を頼みに行った。
上記の例や深刻な病状から回復した著名人の例を挙げてどうにか治療してもらえないか頼んだ。
医師は施しようがないといい、こう答えた。
「あの方々は社会的影響力の大きい人なので、基準度外視のケアをしなければいけなかった。それは列車事故の被害者の方も同じです」

回復の見込みがないと判断されてもなお基準度外視の治療が受けられる場合とそうでない場合があると、患者は平等ではないと…。
断るにしたってそんな答え方があるか?と読んでてショックを受けた。

受けられる医療が平等ではない時点で、安楽死の話する以前の問題だよってなる。
付け加えると、その学校での事故で深刻な状態にあった人の住んでいた地域は社会インフラが整っておらず、医療的ケアも薄かったという話をしていた。

安楽死の法制化によって緩和ケアの技術研修が後退した話、確かにそうなるよねって…。
医療現場が高い倫理観の元自らを律しながら安楽死制度を運用していけるっていうのが幻想…。
人間は易きに流れるし粗雑になるし…それはどこでも一緒…。どこも一緒や…の気持ちになりながら読んでいる。

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