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65年前の今日・1959年6月30日、米軍嘉手納基地の戦闘機が石川市(現うるま市)内に墜落。
炎上した機体は民家を押し潰し、宮森小学校の校舎に激突。
児童を含む18人が死亡、210人が重軽傷、校舎5棟・民家25棟・公民館1棟が全焼または半焼という大事故でした。
(続く)→


(続き)→ 火だるまになった児童らは水飲み場まで走り、次々と生き絶えたそう。
他にも、50年代から今現在まで、沖縄では米軍・米兵による悲惨な事故や犯罪が絶えません。
戦後、本土では反対運動により米軍基地が減少、そのぶん沖縄に皺寄せがいき、沖縄の負担が増えていった事も背景に。
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無くならない米軍の事故と犯罪、そして基地。
日米政府が沖縄に過剰な負担を強いてきた歴史を、県外の私達はどれほど知っているでしょうか。
それらに無関心なまま、黙認しているのが今の私達です。
強引な基地建設に反対し、声を上げる沖縄の人々を批判・揶揄する資格など、私達にはありません。

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