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クドカン版『終りに見た街』を見て、原作の山田太一著『終りに見た街』を読んだ

戦争を体験している山田太一が次の世代に言い残したかったことを、クドカンがちゃんと受け取ってた
現代版へのアレンジがお見事です
山田太一版は主人公が戦争を体験してる世代で、戦後生まれの妻、現代っ子の子供2人という構成なんだけど、クドカン版は家族全員が戦争知らんので、老母三田寛子を出して、三田寛子から語られる様々なワードが山田太一版の補完になるという構造
これが上手、ほんとに組み立てが上手
原作にないラストの2人は「戦争を知るものがいなくなる」ことの暗喩で、それを脚本家が見送るという構図にクドカンの覚悟みたいのがあり、やっぱりアンタ天才だよ!って感じ

前半の戦争を扱った近年の創作物を揶揄するセリフも、最近のクドカンの腹括ってる感がにじみでて良い
ユーモアは刃になることを知ってるひとのユーモアの使い方

声高に反戦を掲げるのではなく、戦争というモノに巻き込まれたひとびとを丁寧に描くことによって、戦争の異常さを浮かび上がらせる

自分の作品が未来に残ることを意識してるひとの作品
宮藤官九郎やっぱすごい天才
長生きして

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