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水晶公時代 

普通にいけばまあ詰みな状況を百年かけてどうにか希望を繋ぐってどう考えても並大抵のことではないし、もし自分がそんな役回りだったとしたら(そもそも希望を繋ぐところまで辿り着けないだろうということは一旦置いておいて)百年も頑張ったら疲れきってもう楽になりたい、これでやっと終われる、みたいな気持ちになるだろうな……と思うんだけど、百年頑張ってなお疲弊による安楽への欲よりも「あなたと一緒に冒険がしたい」の未練が全然勝っていたグ・ラハ・ティア、ヒカセンへの愛とメンタルのタフネスがすごすぎる

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