浅田彰ってやっぱセカイ系というか、社会と個人を区別できてないタイプじゃないの? 彼が書いてるようなことって個人の重大ごとではなくて、個人レベルではもっと矮小なものを手放せなくて悶々としてると思う
それはどうしようもなく定型的なダサい葛藤だったりし、そういうものから逃れるためにキラキラしたもので着飾りたい人もいるんだろうなという気はする。それがまた他人に定型的なダサい葛藤を生み出したりもするが
『何者にもなれなかった人』も、「しょうもないこと」はたくさん考えたりやったりしてきた訳で、そっちを無視して「自分は何者でもない」というのは欺瞞である
浅田彰はでかいこと考えてて、それはそれでそうだろうなというのはわかるんだけど、そのでかさから個体レベルのなにかを導けるか? っていう
そこで症状の特異性で抵抗というのなら最近のラカン派の見立てになるんだが、それもちょっと違うと思ってて、症状の特異性まで掘り下げなくても個体レベルで「しょせん社会構造や言語を反映している」にとどまらないものがあるだろうと踏んでいる
僕はたぶん個人主義者なので、社会レベルの個人で行けば基本的には良いと思っている節があるのかもしれない。それは仮象で云々とか別に言わなくて良いことでしょそう思ってたら「普通名詞に同一化する群衆やアイドル」という訳のわからないものと対峙して大変だった、というのがあるんだが
浅田は個人主義思想としては駄目っぽいというのが現時点の読みで、逃走とかスキゾキッズとか言ってしまうとそれがS1になり、大学の言説になっちゃう。というか実際そうなった
解説を書いてる千葉雅也先生もそうなんだけど、我執を消すタイプの人たちなんだと思う。僕はそれには乗らないタイプとでも言うのか
どこまでも我執で行けば良いというのが理念としてはあり、ただそれは限りなく反社会的な営みになっていくので葛藤が起き、いちおうその間がどこまで許されるかおっかなびっくり行ってみるか……? みたいなことを考えてるのが僕で、問題の所在がポストモダンとかゆってる人たちとは違うんだと思う
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