宮崎駿と上野千鶴子が100人に選ばれるの象徴的だな、と思う。世界の100人というのが、すでに最初から立場の中立を装うものではあるのだけど、英語圏の知識層が日本の政治状況やその中でどのようなフェミニズムがあり表現とその間にどんん関係があるのかに、全く無関心である、という点において、象徴的。日本とは異なる政治状況にある英語圏において、宮崎駿の女性差別性というのは全く読み取られないし、日本の政治状況を知る気は全くない。あるいはそれは日本の文化風習だから植民者である英語圏の人間が口を出すべきではないという意識。そういう諸々。英語圏の情報に接していると色々なところでこれに出会う。